歴史から学ぶ「福山」郷土の偉人たち

第50回 桜田 武 (さくらだ たけし)[1904–1985]

《「ミスター日経連」と呼ばれた「財界四天王」の一人》

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第50回は、「ミスター日経連」と呼ばれた「財界四天王」の一人 桜田 武(さくらだ たけし)[1904―1985]を取り上げました。
《私欲を捨て公に尽くした財界の「がんこ親父」》
ぜひご一読ください。
    
    昭和の日本を代表する実業家で財界人の桜田武(櫻田武)は、1904(明治37)年、広島県沼隈郡赤坂村(現・福山市赤坂町)に生まれました。沼隈郡赤坂尋常小学校(現・福山市立赤坂小学校)、広島高等師範学校附属中学校(現・広島大学附属中学校・高等学校)、第六高等学校(現・岡山大学)を経て、1926(大正15)年に東京帝国大学(現・東京大学)法学部を卒業しました。
    同年、日清紡績(現・日清紡ホールディングス)に入社し、宮島清次郎社長の薫陶を受けました。1939(昭和14)年に召集され中国戦線に赴き、その後、復員。終戦直後の1945(昭和20)年、武は41歳の若さで日清紡績社長に就任しました。異例の抜擢でしたが、戦後の混乱の中で会社再建を見事に果たしました。武の経営者としての最大の功績は、日清紡績を単なる紡績会社にとどめず、精密機械、自動車、エレクトロニクスなどの非繊維分野へ進出させたことです。戦後の日本において、紡績業は復興を支える重要産業でしたが、重工業化の進展に伴い厳しい局面を迎えました。武は時代の流れを見通し、早くから事業の多角化を推進。その結果、日清紡績は高収益企業となり、武は「日清紡中興の祖」と称えられました。
    また、武は一企業の経営者にとどまらず、1948(昭和23)年、経営者側の労働問題専門団体「日本経営者団体連盟[日経連](現・日本経済団体連合会[経団連])」の創設に深く関わり、代表常任理事、会長等を歴任しました。戦後の日本は労働争議が相次ぎ、強い指導力が経営者側に求められる中、武はその矢面に立ち労使関係の正常化に尽力しました。1970年代のオイルショック後には、過度な賃上げを抑え、生産性に見合った賃金政策を打ち出し、日本経済の混乱を抑える上で大きな役割を果たし、「ミスター日経連」と呼ばれました。
    さらに、師・宮島清次郎を通じて吉田茂と関係を築き、「財界主流派」として政界にも強い影響力を持ちました。池田勇人内閣時代には、永野重雄、小林中、水野成夫らとともに「財界四天王」(ジャーナリストの三鬼陽之助が命名)と称され、1975(昭和50)年からは経団連会長の土光敏夫らとともに、行財政改革の中心的存在となりました。戦後日本の政治経済の舵取りに大きな影響を与えた人物の一人でした。
    武はまた、清廉で剛直な人物として知られ、財界のリーダーとして政財界に対して遠慮なく意見を述べ、歯に衣着せぬ発言で注目を集めました。また、師の宮島清次郎に倣い最後まで叙勲は辞退しましたが、福山市から贈られた名誉市民の称号は、市民の真心として素直に受け入れました。東京で財界の中心に立ちながらも、東京広島県人会副会長として広島県出身者の結束にも尽力、同郷の永野重雄とともにその中心的役割を担いました。また、日本鋼管(現・JFEスチール)福山製鉄所の誘致にも側面から力を貸したといわれており、全国に名を成しながらも、最後まで郷土との繋がりを大切にしました。
    
    

出典:『櫻田武論集 上巻』
   日本経営者団体連盟弘報部 (1982年)
    

経済4団体新年祝賀パーティーの記者会見
(右が桜田武)
出典:『櫻田武追悼集』
   日本経営者団体連盟弘報部(1986年)