備後の経営者群像

第11回 藤井 修逸 (ふじい しゅういつ) [1948-]

《世界の半導体産業を支えるプラズマ用高周波電源メーカーを創業》

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エフエムふくやま
         

第11回は、アドテックプラズマテクノロジー 創業者 藤井 修逸(ふじい しゅういつ) [1948 – ]を取り上げました。
世界の半導体産業を支えるプラズマ用高周波電源メーカーを創業
ぜひご一読ください。
    
    半導体製造に欠かせないプラズマ用高周波電源。この分野で売上高100億円を超える企業へと成長したアドテックプラズマテクノロジー。その礎を築いたのが、創業者・藤井修逸です。
    1948(昭和23)年、福山市引野町に生まれた修逸は、城東中学時代に電子分野に興味を持ち、誠之館高校時代にはアマチュア無線に熱中。大阪電気通信大学卒業後は電気関連企業に勤務し、その後、友人と起業しますが、経営方針の違いから袂を分かち、1985(昭和60)年、福山市曙町に資本金430万円で「株式会社アドテック」を設立(5年後、引野町に移転)。店舗2階の一室を借り、三菱電機からコンピュータ制御ユニット等を受注する下請けからの出発でした。しかし修逸は、自らの電気通信技術を生かして、いつか自社製品を開発したいと考えていました。転機は、ローツェ創業者・崎谷文雄氏の紹介で関わったシャープ福山工場の半導体製造現場でした。プラズマを発生させる高周波電源の故障が現場を悩ませていることを知った修逸は、得意の電気通信技術で解決できると確信。約2年にわたる試行錯誤の末、1991(平成3)年、独自のプラズマ用高周波電源を開発・発売しました。しかし、実績のない地方企業の製品は容易には採用されず、当初は門前払いの状態でした。そこで修逸は、既存の電源が故障した工場に自社製品を代替機として使ってもらい、性能と信頼性を証明することで、次々と大手メーカーの採用を勝ち取りました。
    自社の事業を伸ばす一方、1993(平成5)年にはローツェの崎谷氏らと備後半導体技術推進連合会(BISTEC)の設立に参画。地域企業の技術交流や人材育成、中学生向け電子工作教室などを通じ、ものづくりの魅力を次世代へ伝える活動にも力を注ぎました。
    1990年代半ばには1ドル80円を割る歴史的な円高に直面しましたが、1996(平成8)年には米国へ進出。翌1997(平成9)年のアジア通貨危機では、銀行の「貸し剥がし」で経営危機に陥りましたが、ベンチャーキャピタル・JAFCOの支援で乗り切りました。
2000(平成12)年には英国へ進出し、同年、社名を「株式会社アドテックプラズマテクノロジー」に変更。2004(平成16)年には東証マザーズ上場を果たし、同年からドイツのマックス・プランク研究所との共同研究を始めるなど、プラズマ技術の医療分野への応用にも取り組みました。
    その後もリーマン・ショックなど幾多の危機を乗り越え、技術力を武器に海外展開を加速。2011(平成23)年にベトナムと韓国、続いて台湾や中国へ拠点を広げました。2015(平成27)年には東証二部へ市場変更し、現在は東証スタンダード市場に上場。創業40周年を迎えた2025(令和7)年には、連結売上高約127億円を達成しました。修逸は、現場の課題を独自の技術で解決する姿勢を貫き、福山の小さな会社を世界で勝負できる研究開発型企業へと育て上げました。
    

写真提供 : 株式会社アドテックプラズマテクノロジー
    

プラズマ用高周波電源
〈写真提供 : 株式会社アドテックプラズマテクノロジー〉
    
    
[初出:中国ビジネス情報2026年9月1日号・びんご経済レポート2026年9月1日号・ラジオコラボマガジン『RB』2026年秋号]