第7回 崎谷 文雄 (さきや ふみお) [1945-]
《「世の中にないものをつくる」を合言葉に、世界中で活躍する半導体ウエハ搬送ロボットを製造》

第7回は、ローツェ 創業者 崎谷 文雄(さきや ふみお) [1945-]を取り上げました。
《 「世の中にないものをつくる」を合言葉に、世界中で活躍する半導体ウエハ搬送ロボットを製造 》
ぜひご一読ください。
半導体・FPD関連装置メーカー・ローツェを創業した崎谷文雄は、終戦直前の1945(昭和20)年4月、岡山県小田郡大江村(現・井原市大江町)で生まれました。小学生の頃、鉱石ラジオを見て電気や電子回路に興味を持ち、中学生の時にラジオの分解修理を目にし、電子工学の道に進むことを決意。大学に進学しましたが、座学中心のため失望し中退。その後、専門学校で学び、テレビの修理の仕事に就きました。しかし、将来性がないと考え、働きながら静岡大学工業短期大学部の夜間部で、コンピュータと電子回路を学びました。
1973(昭和48)年、半導体の後工程を行うサン電子株式会社(福山市沖野上町)に入社。1975(昭和50)年、写真フィルム現像所を見学した際、手で数えている現像写真の枚数を、重量から瞬時に計測できる電子天秤の開発を思いつき、会社を辞めて起業。画期的な製品でしたが、高額のため僅か1台しか売れず、失敗に終わりました。同年、文雄は井原市にあるタツモ株式会社に就職。半導体の前工程に関係する開発に従事したことで、幸運にも半導体製造の前工程と後工程の両方に精通しました。
1985(昭和60)年、以前から構想中の超小型モータ制御機器開発のため退職。広島県深安郡(現・福山市)神辺町西中条にプレハブ小屋を建て「ローツェ株式会社」を創業。縁の下の力持ちとなるような独自製品を開発し、業界トップの顧客をサポートするという意味を込め、世界一高いエベレストの南に連なる山の名に因み、社名を「ローツェ」と命名しました。ウエハ[半導体製造に使われる薄い円盤状の基板]は、当時はベルト搬送が主流で塵の付着が問題でした。文雄の開発した世界初のウエハ搬送クリーンロボットは全く塵を出さず搬送できたため、国内のみならず海外からも指名買いされました。
また、文雄は、ベンチャーキャピタルを有効活用して事業を急成長させ、1996(平成8)年に本社を神辺町道上に移転。同年、シンガポール、台湾、ベトナム、アメリカ4か国に進出。翌年に韓国、現在は中国、ドイツにも拠点を置き、グローバルに事業展開しています。2015(平成27)年、娘婿の藤代祥之が2代目社長に就任、文雄は会長となりました。翌年、東証一部に上場を果たした後、文雄は相談役に退き、後進の育成や講演活動、将来を担う子供たちに“ものづくり”の楽しさや“創意工夫”の大切さを伝える活動に取り組んでいます。
ローツェは創業以来、年平均20%超の高成長を続け、社員のスキルアップを積極的に支援。報奨金を含む、功績を重視したローツェの年間給与は、今や平均1千万円を超え、中四国地方の上場企業トップとなっています。文雄は、「世の中にないものをつくる」を合言葉に徹底して技術を磨き、数多くの特許を取得。デュアルアームロボット等、世界初の製品を生み出し、特にウエハ搬送装置で世界一のシェアを誇る、連結売上高1,244億円[2025年2月期]の大手半導体関連装置メーカーを一代で築き上げました。
写真提供 : ローツェ株式会社
ウエハ搬送ロボット
〈写真提供 : ローツェ株式会社〉
[初出:中国ビジネス情報2025年9月1日号・びんご経済レポート2025年9月1日号・ラジオコラボマガジン『RB』2025年秋号]