第 7 回 吉田 五郎(よしだ ごろう)[1900-1993]
《 キヤノン(旧・精機光学研究所)の創設者の一人》

写真提供 : キヤノン株式会社
カメラ試作機KWANON(カンノン)
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「CANON」「キヤノン」
[写真提供 : キヤノン株式会社]
義弟・内田三郎
[写真提供 : キヤノン株式会社]
※「キヤノン」の表記と読み方 「キヤノン」が正式な表記(小字を用いた「キャノン」は誤り)ですが、読み方は「きやのん」ではなく「きゃのん」です。
※五郎の分解癖 器用な五郎は、幼い頃から大人になっても、カメラをバラバラに分解していじくりまわし、その構造を確かめ、組み立て直すことが楽しくて仕方がない、いわゆる「分解魔」でした。
※法人化 株式会社にして事業を引き継いで行くこと
※キヤノンの実質的創業者・御手洗毅(みたらい たけし) 1933(昭和8)年、キヤノンの前身となる精機光学研究所を創設したのは吉田五郎と義弟の内田三郎の2人ですが、1937(昭和12)年、御手洗毅は、精機光学研究所を母体にした精機光学工業株式会社の創業に関わり、1942(昭和17)年に社長に就任。戦後は、医師であった事から医療用機器の開発を行うとともに「右手にカメラ、左手に事務機」のスローガンを掲げ、キヤノンの多角化経営を推進、キヤノンを大企業に成長させました。御手洗毅は、キヤノンの実質的創業者といえます。
※社名の変遷 精機光学研究所[1933(昭和8)年]▶ 精機光学工業株式会社[1937(昭和12)年]▶キヤノンカメラ株式会社[1947(昭和22)年]▶ キヤノン株式会社[1969(昭和44)年]
《参考文献》
・『国産カメラ開発物語 カメラ大国を築いた技術者たち』
小倉磐夫
朝日新聞社 2001年
・『創業 なぜ消えた⁉ キヤノンの創業者』
荒川龍彦
朝日ソノラマ 1986年
・『キヤノンとカネボウ』
横田好太郎
新潮社 2006年
《協力》
キヤノン株式会社
[初出/FMふくやま月刊こども新聞2022年2月号]