第 4 回 佐藤 直方(さとう なおかた)[1650-1719]
《「崎門の三傑」と称された朱子学者》

第4回は、「崎門の三傑」と称された朱子学者 佐藤 直方(さとう なおかた)[1650-1719]を取り上げました。
《赤穂浪士を非難 感情に流されることを最も嫌った男》
ぜひご一読ください。
江戸時代中期、全国にその名をとどろかせた福山出身の朱子学者・佐藤直方は、1650(慶安3)年、備後国深津郡吉田村(現・福山市春日町吉田)で、福山藩の下級武士・佐藤七郎兵衛の子として生まれました。10代後半からは、とても高名な朱子学者・山崎闇斎の弟子で福山藩士の永田養庵に学びました。
眼光鋭く、いかつい顔をした、身長180cm余りの大男の直方は、1670(寛文10)年 21歳の時に、本格的に学問をするため、永田養庵に伴われて京都にいる山崎闇斎に弟子入りを願い出ましたが、勉強不足を理由にはっきりと断られてしまいました。希望を打ち砕かれ郷里の吉田村に戻った直方は、それでも決してあきらめず猛勉強して、翌年再び京都に行き、今度は晴れて入門を許され、念願の山崎闇斎の弟子となりました。当時、山崎闇斎の学派は「崎門学派」と呼ばれ、6千人もの多くの弟子がおり、殿様と家臣の厳格な上下関係や礼節を重んじる思想は、幕末の天皇を尊ぶ尊王思想に大きな影響を与えたといわれています。
その後も、日々猛勉強を続け、直方の後から入門した浅見絅斎、三宅尚斎と並んで「崎門の三傑(山崎闇斎門下の特に優れた3人)」といわれ、全国にその名を知られるようになりました。
しかしながら、先生の山崎闇斎が神道に熱中するようになると、直方は純粋な朱子学の立場から先生の考えに反対したため、破門されてしまいました。
その後、1691(元禄4)年 42歳の時に、郷里である備後福山藩の第4代藩主・水野勝種に招かれて江戸に行き、朱子学者として少しの間仕えました。その後も、多くの大名から手厚い待遇を受けて朱子学を講義、直方の名声はますます高まりました。
特に注目する点は、1703(元禄15)年の赤穂事件(赤穂浪士による仇討ち)に対し、世間は「義挙(正義の行い)」と絶賛しましたが、直方は赤穂浪士は決して忠義を貫いた正義の人たちではなく国の法律を破った罪人であると非難したことです。このことは、直方が秩序を重んじる人間であるとともに、感情に流されず、しっかりとした自分の考えの下に、物事の良し悪しを論理的に判断する人物であったことを強くうかがわせます。
1719(享保4)年、直方は講義中に倒れて亡くなりました。お墓に刻まれた戒名は、「一貫了道居士」。脇目もふらず学問一筋の道を歩み、生涯を閉じた直方にとてもふさわしいものです。
佐藤直方の墓
写真提供:瑠璃光寺(東京都港区東麻布1-1-6)
『講学鞭策録』1683年刊
『道学標的』1713年刊
※直方の生誕地 左記2説あり、いずれも福山藩領。
①備後国深津郡吉田村(現・福山市春日町吉田)
②備後国品治郡下安井村(現・福山市新市町下安井) [五弓久文(ごきゅう ひさふみ)の『三備史略』による]
父・七郎兵衛の居住地が吉田村のため、生誕地は吉田村説が有力と思われますが、2説とも断定に足る資料を欠いています。
※朱子学 中国・南宋の朱熹(朱子)による新しい儒学[儒学は孔子の教え]で、江戸幕府が奨励した当時主流の学問
※崎門学派(きもんがくは) 江戸時代前期の儒学者・山崎闇斎(やまざきあんさい)を学祖とする朱子学の一派。山崎闇斎は,朱子学一尊主義の立場から,朱子の学説を遵守して異説を強く排撃しました。後年、吉川神道(よしかわしんとう)を開いた吉川惟足(きっかわ これたり)に学び、従来の神道と儒教を統合して、垂加神道(すいかしんとう)を創始しました。このため、崎門学派は純儒学と神儒兼学の2派に分かれましたが、純儒学派が主流を占め、佐藤直方・浅見絅斎・三宅尚斎という「崎門の三傑」を輩出したことで、崎門学派が名実ともに近世の儒学の主流派となり、その勢力と思想的影響力は全国的に広がりました。崎門学派は、幕末の尊王攘夷思想(特に尊王思想)に大きな影響を与え、明治維新の思想的原動力となりました。
※神道 森羅万象に八百万の神々が宿るという思想に基づき、自然への畏敬の念と感謝の気持ちから生まれた、古くから存在する日本固有の宗教。開祖や教祖、教典を持たず、日本の歴史や文化、日本人の精神性に深く根付いています。
※『講学鞭策録』 天和3(1683)年跋刊 学生が勉強する上での助けとなるよう、朱子の著書の中から学問の基本となる大事な部分を収録した書籍
※ 『道学標的』 正徳3(1713)年刊 中国の古典「大学」「中庸」「論語」「孟子」や宋学の書の中から、道学(儒学、特に宋学)の大事なところを部分的に抜書きした基本書
《参考文献》
・『叢書・日本の思想家12 佐藤直方・三宅尚斎』
吉田健舟・海老田輝巳
明徳出版社 1990年
・『山崎闇斎と其門流』
傳記學會
明治書房 1938年
・『誰も知らない江戸の奇才』
河合敦
三栄 2019年
・『現人神の創作者たち』
山本七平
文藝春秋 1983年
・『日本思想大系31 山崎闇斎学派』
西順蔵・阿部隆一・丸山真男
岩波書店 1980年
・『新市町史 通史編』
新市町史編纂委員会
広島県芦品郡新市町 2002年
・『福山学生会雑誌 第41・42・44・45・48・49・50号』
和田英松
福山学生会事務所 1913-1917年
《協力》
・瑠璃光寺
・河合敦氏
・福山誠之館同窓会
[初出/FMふくやま月刊こども新聞2021年11月号]