第26回 杉山 金太郎(すぎやま きんたろう)[1875-1973]
《近代的製油工業の先駆者 “Soybean King(大豆王)”》

第26回は、近代的製油工業の先駆者 “Soybean King(大豆王)” 杉山金太郎(すぎやま きんたろう) [1875-1973]を取り上げました。
《豊年製油(現・J-オイルミルズ)中興の祖》
ぜひご一読ください。
杉山金太郎は、1875(明治8)年に和歌山県海草郡川永村永穂(現・和歌山県和歌山市永穂)の農家に生まれました。紀州藩徳川家の徳修学校を出ると、叔父が教師をしていた尋常中学福山誠之館(現・福山誠之館高校)を受験し3年に編入。その後、家庭の事情で大学進学を諦め、4年進級時に誠之館を退学、市立大阪商業学校(現・大阪公立大学商学部)に入学しました。
1894(明治27)年に商業学校卒業後、金太郎は、得意の英語を活かして神戸の外国商社・アメリカン・トレーディング・カンパニー(米国貿易会社)に入社し、貿易実務に習熟。初めて綿糸を中国に輸出し、日本の綿糸輸出の先駆けとなりました。1917(大正6)年、貿易の実権を外国人から日本人の手に取り戻そうと、日本綿花(現・双日)社長・喜多又蔵らとともに中外貿易会社を設立。当初は業績も絶好調でしたが、第一次世界大戦後の不況(戦後恐慌)で会社が倒産の危機に瀕し、金太郎は私財の全てを負債の一部に充てて辞任しました。その後は、戦後恐慌の影響を受けた横浜正金銀行(現・三菱UFJ銀行)の仕事を手伝い、1923(大正12)年、大蔵大臣・井上準之助の依頼で、帝都復興院の嘱託となり、同年に起きた関東大震災の復興資材の確保に力を尽くしました。
1924(大正13)年、鈴木商店の大番頭・金子直吉と親交のあった井上準之助らの推薦で、戦後恐慌で台湾銀行の手に渡っていた総合商社・鈴木商店の整理のため、同社三大事業の一つ豊年製油(現・J-オイルミルズ)の社長に就任。金太郎は自ら満州に出向いて豊富な大豆を買い付けるなど、陣頭指揮を執るとともに商品開発と販売力を強化し、経営難で台湾銀行の管理下にあった会社を見事に立て直しました。
食用油は、大正時代まで菜種油やごま油が主流でしたが、金太郎は豆特有の臭みがある大豆油の精製法を研究させ、におい、色、味のよい食用の大豆油を作り出しました。また、丸大豆から油を搾りとった残りの豆かす(脱脂大豆)にタンパク質が多く含まれることに着目。それまで肥料用だった脱脂大豆を家畜の飼料に使い、家畜の排泄物を肥料に使うという一石二鳥策を考案。次に、醤油や味噌、豆腐を作るのに油は不要と考え、それまでの丸大豆ではなく、脱脂大豆を原料に使うようにしました。 さらに、大豆に含まれるタンパク質を原料とした合板接着剤を開発するなど、大豆を無駄なく多面的に利用することに成功、会社発展の礎を築きました。
1942(昭和17)年、化学工業技術の発展と食生活の向上のため、財団法人杉山産業化学研究所を設立。さらに同年、資源の少ない日本がアメリカに対抗するには人材の育成が急務と考え、私財を投入し財団法人杉山報公会を設立、返済不要の奨学金を支給しました。奨学生の中には、ノーベル物理学賞受賞の江崎玲於奈がいます。
アメリカで“Soybean King(大豆王)”と呼ばれた金太郎は、「豊年製油中興の祖」として、わが国の近代的製油工業発展の途を切り拓きました。
写真提供 : 杉山産業化学研究所/杉山報公会
豊年製油の広告
(写真提供 : 鈴木商店記念館)
写真提供 : 鈴木商店記念館
※中興の祖 危機的状況に陥ったものを再び興して盛んにした人。
※ 喜多又蔵(きた またぞう) 日本綿花社長。金太郎の市立大阪商業学校時代の同級生で友人。中外貿易会社の創立は、「貿易の実権を日本人の手に取り戻そう」という大阪商業学校の校長・成瀬隆蔵(なるせ りゅうぞう)先生の教えに報いたものです。
※鈴木商店の三大事業
①豊年製油(現・J-オイルミルズ)
②帝国人造絹絲(現・帝人)
③神戸製鋼所
※金子直吉(かねこ なおきち) 丁稚奉公から身を起こし、総合商社・鈴木商店の「大番頭」となり、「財界のナポレオン」と言われました。1917(大正6)年、鈴木商店の売上は当時の我が国のGNPの1割に達し、日本一の総合商社となり、三井財閥、三菱財閥、住友財閥を凌ぐ規模となりました。
※社名の変更 豊年製油株式会社は、1989(平成元)年に社名を株式会社ホーネンコーポレーションに変更しました。その後、世界に通用する製油企業を目指し、2003(平成15)年にホーネンコーポレーション、味の素製油、吉原製油の3社が経営統合し、株式会社J-オイルミルズが誕生しました。
※大豆油 1925(大正14)年のわが国の大豆油生産高は約3万6,000トンで、豊年製油の大豆油生産高はその約70%の約2万5,000トンでした。大豆油の生産は大正時代に菜種油を上回り、1988(昭和63)年まで、わが国の植物油市場をリードしてきました。現在、わが国で大豆油は主に業務用として利用されており、家庭用では菜種油やキャノーラ油と調合し、サラダ油として使われることが多い。
※江崎玲於奈(えさき れおな) 物理学者。エサキダイオードの発見者で、1973(昭和48)年にノーベル物理学賞を受賞。第三高等学校(現・京都大学)時代に、杉山報公会から奨学金が支給されました。
《参考文献》
・『私の履歴書 経済人 2』
日本経済新聞社 編
日本経済新聞社 1980年
・『にっぽん企業家烈伝』
村橋勝子
日本経済新聞出版社 2007年
《協力》
・杉山産業化学研究所
・杉山報公会
・鈴木商店記念館
[初出/FMふくやま月刊こども新聞2024年1月号]