歴史から学ぶ「福山」郷土の偉人たち

第38回 宮城 道雄(みやぎ みちお)[1894-1956]

《「現代邦楽の父」 箏曲『春の海』で有名な作曲家・箏曲家》

PDF

         

第38回は、「現代邦楽の父」 箏曲『春の海』で有名な作曲家・箏曲家   宮城 道雄(みやぎ みちお)[1894-1956]を取り上げました。
《邦楽(日本伝統の音楽)に洋楽(西洋音楽)を取り入れて新しい日本音楽を創造》
ぜひご一読ください。
    
    「宮城検校」と呼ばれた作曲家で箏曲家の宮城道雄は、1894(明治27)年、広島県沼隈郡(現・福山市)鞆町出身の菅国治郎の長男・菅道雄として神戸三宮(現・兵庫県神戸市中央区浪花町)で生まれました。生後200日で目の病気を患い、8歳で失明後、音楽を志して生田流箏曲を学び、わずか11歳で免許皆伝、箏と尺八の名手となりました。1909(明治42)年、14歳で処女作・箏曲「水の変態」を作曲。結婚後は、妻の生家の宮城姓を名乗りました。更なる研鑽を積んだ道雄は、1916(大正5)年、22歳という若さでこの道の最高位「大検校」の称号を受けました。
    1919(大正8)年、童謡詩人・葛原しげる等の支援を受け、東京の中央会堂で念願の第1回作品発表会を開催、25歳で作曲家としてデビュー。道雄は邦楽に洋楽の要素を取り入れ、邦楽の活性化を図りました。それは後に道雄や本居長世、吉田晴風を中心とした「新日本音楽」という新しい日本音楽を創造する活動として、現代邦楽の発展に大きな影響を及ぼしました。
    1925(大正14)年、道雄は東京放送局(現・NHK)のラジオ試験放送初日に出演。以後、正月放送や国際放送、ラジオ箏曲講座等に出演した功績により、第1回NHK放送文化賞を受賞しました。
    1929(昭和4)年に発表した箏と尺八の二重奏曲『春の海』は、翌年正月の宮中歌会始のお題「海辺の巌」に因んだ曲で、かつて道雄が瀬戸内海を船で巡ったときの印象を織り込んで作られました。フランス人ヴァイオリニスト、ルネ・シュメーが尺八部分をヴァイオリンに編曲して道雄と合奏し、世界的に有名になりました。
    1930(昭和5)年、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)の講師(後に教授)に就任、さらに東京盲学校の講師も務めました。道雄は、ラジオ講座や教則本の開発、楽譜の導入等、新しい教育法を考案し後進の育成に努めました。
    また、道雄は随筆にも才能を発揮し、 1935(昭和10)年に随筆集『雨の念仏』を執筆、文筆家として川端康成や佐藤春夫らから高い評価を得ました。
    1948(昭和23)年には父の故郷である福山市の鞆の浦で初の演奏会を開催。同年、日本芸術院会員に選任されました。1953(昭和28)年夏、フランスとスペインで開催された世界民俗音楽舞踊祭に、日本代表として参加し第1位を獲得。また、英国放送協会(BBC)で『ロンドンの夜の雨』を初演しました。
    1956(昭和31)年、関西演奏旅行へ向かう途中、東海道線刈谷駅(愛知県刈谷市)付近で寝台急行列車「銀河」から転落して急死しました。
    道雄は、大編成の合奏曲から童曲まで、幅広い分野で400曲以上を作曲。また、自作曲や古典曲を演奏するだけでなく、日本の古楽器の改良や新楽器の開発を行い、十七絃、八十絃、短琴(短い寸法の琴)、大胡弓(大型の胡弓)等を考案しました。鞆の浦歴史民俗資料館の庭には道雄の銅像があり、「現代邦楽の父」と称された道雄は今も鞆の山上から『春の海』を眺めています。
    
    

〈写真提供 : 宮城道雄記念館 〉
    

箏を演奏する宮城道雄
〈写真提供 : 宮城道雄記念館 〉