第33回 藤井 好直(ふじい こうちょく)[1815-1895]
《世界で初めて日本住血吸虫症の症状を公表した医師》

第33回は、世界で初めて日本住血吸虫症の症状を公表した医師 藤井 好直(ふじい こうちょく) [1815-1895]を取り上げました。
《日本住血吸虫症(片山病)研究の出発点となった『片山記』》
ぜひご一読ください。
世界初の日本住血吸虫症(片山病)に関する文献『片山記』を執筆した医師・藤井好直は、1815(文化12)年、備後国沼隈郡山手村(現・福山市山手町)小田で、漢方医・藤井高尚の長男として生まれ、父の跡を継ぎ医者になりました。
備後国では安那郡川南村(現・福山市神辺町川南)片山を流れる高屋川流域を中心に、古くから原因不明の風土病が猛威を振い、多くの死者が出ていました。こうした状況に危機感を覚えた好直は、1847(弘化4)年、『片山記』を著し、この風土病(日本住血吸虫症)について、世界で初めて症状の詳しい記録を残すとともに、全国の医師に原因の究明を訴えました。
『片山記』の要旨は次の通りです。
「神辺の川南村に片山(別名・漆山)という小山がある。昔この辺りは海で、あるとき漆を積んだ船が大風に遭い、片山の近くで転覆した。そのためか、この辺りの水田に入ると、足やすねに小さな湿疹ができ、我慢ができぬほどかゆく、しかも痛くなる。多くの人々が患い、漆のせいだと思っている。
その症状は恐ろしく、顔は血色が衰えて黄色くなり、汗をかいて痩せ衰え、脈が弱くなり、脈拍数が多くなる。発熱し、嘔吐し、血便が出たり、下痢をする。時間が経過すると、手足は痩せ衰えて腹ばかりがふくれて太鼓のようになり、胸には静脈が浮き出て、へそは突き出る。ひどい人になると、腹の皮が光って鏡のように物を映し、足が腫れて皮下の静脈が青々と浮き出るようになって死ぬ。
私は治療に様々な薬を用いたが、少しも効果がなかった。人だけではなく,牛や馬も同様に何十頭も死んでいる。この病の原因が分からないので、全国の医師にお訊ねし、お力を貸していただきたい。」
この風土病は、安那郡粟根村(現・福山市加茂町粟根)の医師・窪田次郎によって「片山病」と呼ばれるようになりました。好直は30年後の1877(明治10)年に再び筆を執り、「依然として片山病が蔓延し、多くの死者が出ているが、いまだに原因は不明である。」と『片山附記』を著し、警告を発し続けました。
そして、好直の『片山記』執筆から57年後の1904(明治37)年、桂田富士郎によって謎の病気の原因となる「日本住血吸虫」が、感染した“ネコ”の体内から見つかり、その4日後には藤浪鑑と吉田龍蔵によって“人体”からも発見されました。その後、感染経路が皮膚を通じて感染する経皮感染と判明、中間宿主が「ミヤイリガイ(カタヤマガイ)」だと分かりました。そこで、用水路に石灰を撒いたり、用水路をコンクリート製に変える等の対策を講じ、広島県では1980(昭和55)年、日本国内では1996(平成8)年に日本住血吸虫症は撲滅されました。しかし、日本住血吸虫症は日本固有の病気ではなく、現在も中国・フィリピン・インドネシアの3か国を中心に、年間数千人から数万人規模の新規感染者が確認されています。
好直が、日本住血吸虫症研究の出発点となる『片山記』を著し、「片山病先覚者」として病気の解明に向け最初の第一歩を踏み出したことは、世界的に大変意義のあることでした。
『片山記』写本の冒頭部分
[原本は焼失]
藤井好直の墓
(写真提供 : 三寳寺)
片山 手前は高屋川
※『片山記』原本の焼失 京都帝国大学(現・京都大学)医学部教授の藤浪鑑は、藤井家から好直直筆の『片山記』原本を借りていました。ところが、1925(大正14)年、京都帝国大学医学部校舎が火災により全焼、藤浪の研究資料とともに貴重な『片山記』原本も焼失してしまいました。
※周恩来が「藤井好直」に言及 日中間に国交がなかった1955(昭和30)年、日本の医師団が中国を訪問しました。中国の周恩来首相と会談した際、周恩来は「中国人民の健康被害が大きい日本住血吸虫症(中国名:血吸虫病)について聞きたい。中間宿主の貝は、発見者・宮入慶之助(みやいり けいのすけ)の名にちなみ『ミヤイリガイ』、または、藤井好直の本『片山記』の名前から『カタヤマガイ』と呼ぶと聞いている。」と発言。周恩来の口から「藤井好直」などの名が出て、訪中日本医師団を驚かせました。
※日本住血吸虫症の三大流行地
・山梨県甲府盆地
・広島県片山地方
・筑後川流域
※吉田龍蔵(よしだ りょうぞう)の活躍 [第九話を参照こと] 片山に近い深安郡中津原村(現・福山市御幸町中津原)の開業医・吉田龍蔵は、片山病の患者を解剖して原因究明の努力を続けていましたが、1904(明治37)年に京都帝国大学・藤浪鑑教授の協力を得て行った片山病患者を解剖した結果、肝臓内の門脈から日本住血吸虫を発見しました。これが世界で最初に人体から検出された日本住血吸虫となりました。その後も感染経路の特定や中間宿主ミヤイリガイの駆除方法などを研究し、日本住血吸虫症撲滅に生涯を捧げました。
《参考文献》
・『漢方医 藤井好直 片山病先覚者の人と業績』
中山正真
自費出版 1981年
・『藤井第二郎好直先生 研究から日本住血吸虫終焉まで』
斎藤哲郎
児島書店 2021年
・『死の貝 日本住血吸虫症との闘い』
小林照幸
新潮社 2024年
・『増補版 寄生蟲図鑑 ふしぎな世界の住人たち』
大谷智通
講談社 2018年
・『日本住血吸虫症と宮入慶之助 ミヤイリガイ発見から90年』
宮入慶之助記念誌編纂委員会
九州大学出版会 2005年
・『茶碗の欠片 杉山なか女と地方病(日本住血吸虫病)』
橘田活子
百年書房 2019年
・『増補改訂版 福山市御幸町 新茶屋町内物語』
福山市御幸町新茶屋 町内物語編集委員会
1992年
・『風土病との闘い』
佐々学
岩波書店 1960年
《協力》
・三寳寺
・児島書店
[初出/FMふくやま月刊こども新聞2024年10月号]