歴史から学ぶ「福山」郷土の偉人たち

第16回 占部 都美(うらべ くによし)[1920-1986]

《 日本の経営学の主流をつくった立役者》

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第16回は、日本の経営学の主流をつくった立役者 占部 都美 (うらべ くによし) [1920-1986]を取り上げました。
《 戦後の高度経済成長期の経営学ブームを牽引》
ぜひご一読ください。
    
    現在の日本の「経営学」は、アメリカ経営学がベースになっています。その立役者の一人が、福山出身の経営学者・占部都美です。都美は、わが国最初の経営学部である神戸大学経営学部の教授として、経営学の発展に多大な貢献をしました。
    1920(大正9)年、都美は広島県沼隈郡水呑村(現・広島県福山市水呑町)で、占部寉五郎とタミの長男として生まれました。1937(昭和12)年、盈進商業学校(現・盈進高等学校)卒業後、横浜専門学校(現・神奈川大学)を経て、1940(昭和15)年、東京商科大学(現・一橋大学)に進学。大学ではドイツ経営経済学の第一人者・増地庸治郎のゼミに所属しました。
    1943(昭和18)年、大学卒業後は三菱石油(現・ENEOS)に入社しましたが、大病を患い2年余りで退職。1946(昭和21)年、財団法人運輸調査局(現・一般財団法人交通経済研究所)財務調査部に勤務。その後、1950(昭和25)年から翌年までアメリカのピッツバーグ大学大学院へ留学。帰国後の1952(昭和27)年、神戸大学経営学部助教授に就任しました。
    都美は、1955(昭和30)年頃から、優れた経営管理手法である「事業部制」に着目し、その研究の成果をいち早く、本にして出版しました。当時、事業部制を取り入れていた会社は、国内では松下電器産業(現・パナソニック)をはじめとして五社に満たなかったといわれています。
    1963(昭和38)年、教授に就任。この頃の神戸大学経営学部は、紛れもなく日本における経営学研究の最先端拠点でした。経営学の主流がドイツ経営学からアメリカ経営学へと移行しつつある中、都美はアメリカ経営学の第一人者としてこの流れを主導、アメリカ経営学を日本の経営学の主流にした中心人物となりました。
    都美はとても怒りっぽい性格でしたが、他方で人の面倒見がいいことでも有名で、ゼミは学生に圧倒的な人気があり、優秀な教え子を多数輩出しました。その中には、著名な経営学者の吉原英樹、加護野忠男(都美の娘婿)、金井壽宏、経営者では江崎グリコ会長の江崎勝久(グリコ・森永事件被害者)などがいます。
    また、戦後の驚異的な高度経済成長が始まると、ほどなく経営学ブームが巻き起こりました。そうした中、都美は1963(昭和38)年、光文社カッパ・ビジネスから会社の状態を人体に例えた『危ない会社』を出版すると、4ヶ月で35万部も売れる大ベストセラーとなりました。一般読者向けビジネス書の著述にも積極的に取り組み、高度経済成長期の経営学ブームを牽引しました。
    1983(昭和58)年、神戸大学を定年退官後、名誉教授に就任。日本文理大学教授・商経学部長や松山商科大学(現・松山大学)教授になりましたが、ほどなく亡くなりました。都美は生前、「マネジメントの発明者」といわれる高名なアメリカの経営学者ピーター・ドラッカーから、日本を代表する経営学者として絶大な信頼を寄せられました。
    

写真提供:神戸大学
    

『事業部制と近代経営』ダイヤモンド社(1960年)
    

大ベストセラー『危ない会社』
    

写真提供:田口由実氏
    
    
※日本最初の経営学部 神戸大学経営学部のある六甲台キャンパスに「わが國の經營學ここに生まれる」と刻まれた、経営学発祥の地を示す記念碑が建っています。
    
※ 旧三商大 一橋大学(東京商科大学)、神戸大学(神戸商業大学)、大阪公立大学(大阪商科大学)の三大学を指す通称で、都美は東京商科大学を出て、神戸大学経営学部の教授になりました。
    
※経営学部三羽ガラス 神戸大学経営学部第2世代の3人は「三羽ガラス」と呼ばれました。
・市原季一(いちはら きいち)[ドイツ経営学]
・占部都美[アメリカ経営学]
・海道進(かいどう すすむ)[批判的経営学・社会主義経営学]
    
※占部ゼミの「灰皿神話」 都美は、実務的知識は実業界に入ってから身につくので、大学では理論的思考能力を養わなければならないと考えていました。都美の学問に対する厳格さを反映して、占部ゼミは名状しがたい独特の緊張感があったといいます。都美は、理論的意味の乏しい発表に対してはすこぶる厳しく、全く意味がないと思われる発表に対しては、都美から灰皿が飛んでくるという「灰皿神話」がゼミ内で代々語り継がれてきました。しかし、実際は、ゼミ生が程度の低い発表をしたとき、都美が灰皿で机をポンポンと叩いたというのが真相のようです。
    
    
《参考文献》
・『経営学の開拓者たち-神戸大学経営学部の軌跡と挑戦』
  上林 憲雄・清水 泰洋・平野 恭平
  ‎中央経済社  2021年
    
・『国民経済雑誌 第148巻第3号』
  神戸大学経済経営学会 1983年
    
・『事業部制と利益管理』
  占部都美
  ‎白桃書房  1969年
    
・『危ない会社』
  占部都美
  光文社 1963年
    
・『完本 ベストセラーの戦後史』
  井上 ひさし
  文藝春秋 2014年
    
    
《協力》
・神戸大学 大学文書史料室
    
・田口由実氏
    
    
[初出/FMふくやま月刊こども新聞2023年1月号]