歴史から学ぶ「福山」郷土の偉人たち

第13回 西岡 常一(にしおか つねかず)[1908-1995]

《国宝明王院を解体修理した宮大工棟梁》

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第13回は、国宝明王院を解体修理した宮大工棟梁 西岡 常一(にしおか つねかず) [1908-1995]
を取り上げました。
《古代の道具「ヤリガンナ」を復元、使い方は絵巻物等から習得》
ぜひご一読ください。
    
    福山市には国宝建造物が2つあります。それは草戸町にある明王院本堂と五重塔です。かつて5年の歳月をかけてそれらを解体修理したのが、法隆寺・薬師寺を修理・再建した奈良斑鳩の宮大工棟梁・西岡常一です。
    1908(明治41)年、奈良県生駒郡法隆寺村西里(現・奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺西一丁目)に生まれた常一は、宮大工棟梁であった祖父の厳しい教育の下で育ち、やがて、祖父、父、常一と3代にわたる法隆寺の宮大工棟梁になりました。
    1934(昭和9)年から1954(昭和29)年にかけて、兵役の期間を除き、常一は「昭和の大修理」といわれる法隆寺の解体修理に携わりました。1949(昭和24)年頃、常一は法隆寺の柱の削り跡を見て、飛鳥時代の建物を再建するには、その時代の道具が必要だと考え、室町時代に姿を消してしまった古代の大工道具「ヤリガンナ」の復元に取り組みました。現代の鉄では切れ味が悪いため、法隆寺の解体修理で出た古代の鉄クギを溶かして鍛え直し、正倉院の宝物等を参考に復元しました。そして絵巻物や古代の柱の削り跡などを参考に、3年もの試行錯誤の末、ついに使い方を習得しました。復元されたヤリガンナは、後の明王院の修理にも使われ、今では古代や中世の建築物の修理や再建に欠かせない道具となっています。「昭和の大修理」の途中、常一は復元方法を巡る学者との激しい論争や法隆寺金堂の焼失、自身も肺結核を患うなど、数々の困難に直面しながらも、見事解体修理をやり遂げました。周囲の人々は畏敬の念を込めて彼を「法隆寺の鬼」といい、常一は名工として広く世に知られるようになりました。
    法隆寺の大修理から5年後、法隆寺金堂修復時の工事事務所長・古西武彦技師から明王院修復という大仕事の依頼が来ました。 1959(昭和34)年10月から1964(昭和39)年9月までの5年間、常一は明王院境内に住み込み、工事監督・太田博太郎東京大学教授、現場主任・古西技師の下で、宮大工の棟梁として、明王院の五重塔、本堂、表門、書院の解体修理と本坊庫裏屋根替修理を行いました。明王院は弘法大師空海の創建とされ、本堂は鎌倉時代に建立、和様と唐様(禅宗様)、天竺様(大仏様)の3つを融合した折衷様の代表例で、常一はこの様式を学ぶ貴重な機会を得ました。五重塔は和様で、南北朝時代に寄進により建てられました。マツを中心にいろいろな種類の木が使われ、風雨にさらされても雨水を弾き、木の中に浸み込みにくいよう、表面はヤリガンナで仕上げられていました。ヤリガンナは、木の繊維の方向に沿って削れるので、木の繊維を傷つけず、木の表面がけばけばしないため、水を弾くのです。常一は、法隆寺以後の層塔建築の歴史を明王院五重塔で実地に学び、それは後の薬師寺伽藍再建への準備となりました。その他、明王院五重塔の10分の1模型や東京オリンピック賛助出品の沼名前神社能舞台の模型作りなど、精力的に仕事に取り組みました。
    1970(昭和45)年、薬師寺金堂再建、そしてそれに続く薬師寺伽藍の再建という、宮大工人生最大の仕事が舞い込んできました。この工事中の1992(平成4)年、宮大工として初めて文化功労者に選ばれ、古代の建築様式に精通した「最後の宮大工」といわれるようになりました。常一は、明王院での仕事と兵役以外はほとんど奈良から離れず、次世代に古代建築の素晴らしさを伝えながら奈良の古代建築とともに生きた人生でした。
    

ヤリガンナを持つ西岡棟梁
写真提供 : 梅田正明氏
[「木に学べ」西岡常一著 小学館]
    

明王院本堂・五重塔
    
※法隆寺大工の口伝 法隆寺大工に代々伝わるもので、伽藍を造営する大工への教え・戒め。[口伝の意味は参考文献を参照のこと]

・「堂塔(どうとう)建立(こんりゅう)の用材は木を買わず山を買え」

・「木は生育の方位のままに使え」

・「木組みは木の癖組み」  

・「堂塔の木組みは寸法で組まず木の癖で組め」

・「木の癖組みは工人たちの心組み」

・工人たちの心組みは匠長(しょうちょう)が工人らへの思いやり」

・「百工あれば百念あり、これをひとつに統(す)ぶる。これ匠長の器量なり。百論ひとつに止まる、これ正なり」

・「百論をひとつに止めるの器量なき者は謹(つつし)み惧(おそ)れて匠長の座を去れ」
    
    
《参考文献》
・『木のいのち 木のこころ(天)』
  西岡常一
  草思社 1993年
    
・『木に学べ 法隆寺・薬師寺の美』
  西岡常一
  小学館 1988年
    
・『斑鳩の匠 宮大工三代』
  西岡常一・青山茂
  徳間書店 1977年
    
・『宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み』
  西岡常一
  日本経済新聞社 2005年
    
・『法隆寺を支えた木』
  西岡常一・小原二郎
  NHK出版 1978年
    
・『木のこころ 仏のこころ』
  西岡常一・松久朋琳・青山茂
  小学館 1986年
    
・『蘇る薬師寺西塔』
  西岡常一・高田好胤・青山茂
  草思社 1981年
    
・『明王院』
  古西武彦
  福山市文化財協会 1968年
    
・『国宝明王院五重塔修理工事報告書』
  国宝明王院五重塔修理委員会 1962年
    
・『国宝明王院本堂修理工事報告書』
  国宝明王院本堂修理委員会 1964年
    
・『時代を切り開いた世界の10人 第2期 5巻 西岡常一』
  高木まさき
  学研プラス 2015年
    
・『薬師寺に陽がのぼる 宮大工西岡常一の誇りと情熱』
  きりぶち輝
  くもん出版 1985年
    
・『大棟梁 宮大工・西岡常一青春伝』
  ビッグ錠
  集英社 1991年
    
・『飛天の夢・古寺再興』
  長尾三郎
  朝日新聞社 1990年
    
・『棟梁 技を伝え、人を育てる』
  小川三夫
  文藝春秋 2008年
    
・『宮大工西岡常一の遺言』
  山崎佑次
  彰国社 2008年
    
    
《協力》
・小学館
    
・梅田正明氏(写真家)
    
・三谷干城氏(明王院を愛する会 会長)
    
・宮林昭二郎 絵画記念館
    
    
[初出/FMふくやま月刊こども新聞2022年10月号]