第 1 回 甲斐 和里子 (かい わりこ)[1868-1962]
《 京都女子大学創始者 》

甲斐和里子(旧姓 足利)は、1868(慶応4)年、備後国安那郡西中条村(現・広島県福山市神辺町西中条)の勝願寺で、父・足利義山、母・早苗の五女として生まれました。父の義山は、京都にある西本願寺を代表する仏教の高名な学者でした。お念仏を聴いて育った和里子は、女性の社会的地位を向上させるためには、仏教の教えに基づいた女子教育が必要であると考えました。そして、1899(明治32)年、仏教を教えとする女学校「顕道女学院」を創設しました。この女学校が発展して、現在の「京都女子学園」「京都女子大学」となりました。学校創設者でありながら、一人の教師として1927(昭和2)年まで教壇に立った和里子は、女子教育を根付かせることに生涯を尽くしました。和里子の生家である勝願寺には、「かやのみ幼稚園」「かやのみこども園」があり、和里子の思いを継いで、仏教教育に力を入れています。
また、和里子は歌人としても活動し、多くの和歌を詠んでいます。その中で、最も有名な歌を紹介します。
岩もあり 木(こ)の根もあれど さらさらと たださらさらと 水の流るる わり子
川の水は、流れの途中に岩や木の根っこなどの障害物があっても、上流から下流へ、そして最終的には海へと流れていきます。水には形がないので、途中に障害物があっても、自由自在にさらさらと流れていきます。私たちの人生にも、苦しいことや悲しいこと、困ったこともたくさんあります。しかし、川の水の流れのように、障害があっても挫けず、こだわらず、日々の生活を送りたいものです。そうすれば、多くの幸せに恵まれた人生を送れるのではないでしょうか。
和里子は、お念仏を最も大切に考えた生き方をし、1962(昭和37)年、95年の生涯を閉じました。
写真提供:京都女子学園
短冊「岩もあり 〜」
甲斐虎山画・和里子賛 夫婦合作
※和里子の和歌 勝願寺の足利義信住職に選んでいただいた和里子の作品の一部を紹介します。
・御仏(みほとけ)の 御名(みな)を称(とな)ふる わが声は わが声ながら 尊かりけり
(意訳) 「南無阿弥陀仏」と仏様のお名前を呼ぶ私の声は、そのまま仏様が私を呼んで下さるお声でもあり、尊くありがたいものです。
・ともし火を 高く掲げて わが前を 行く人のあり 小夜中(さよなか)の道
(意訳) 真っ暗闇で迷いそうな時でも、灯火を掲げて先導して下さる方がいらっしゃるから、真夜中の道でも心丈夫なのです。
・人の持てる 長さは言はで 短さを ただ言ひちらす 人の短さ
(意訳) 人の長所に目を向けず、短所ばかりをあげつらう人は、自身の器が小さいのでしょう。
・安らかに 人を渡して 己が身は 水にひれたる 橋柱かな
(意訳) 私たちは何の心配もなく橋を渡るけれど、常に水の流れに耐えながら橋を支えている橋脚の存在を忘れてはなりません。
・ともし火を 明るきものと 今ぞ知る 消えたる後(あと)の 夜半(よわ)の暗さに
(意訳) 灯火が明るかったことに気付かされるのは、その光を失い暗闇が訪れた時です。
・悲しさは みなとり捨てて 嬉しさの 数のかぎりを 数へてぞ見る
(意訳) 人生には良いことも悪いこともありますが、悲しみにだけ支配されるのではなく、嬉しいことを思いながら生きていきたいものです。
※私の死は極楽への誕生日。 人の一番いやがるものは死ぬことである。そして大臣でも博士でも富豪でもみんな残らず死ぬのである。が、仏教者達の死は即極楽への誕生日なのである、誠にめでたい大祝日なのである。其の時はオギャアなどと不景気な産声をあげるかわりに、大声で南無阿弥陀仏ッ!と呼ぶつもりですが、いかがでしょう?(『新修 草かご』より転載、和里子91歳)
※南画家の夫・甲斐虎山(かいこざん)[1867-1961] 大分県臼杵(うすき)市出身の南画家。通称は駒蔵。田能村竹田(たのむら ちくでん)の高弟・帆足杏雨(ほあし きょうう)に学び、豊後南画の伝統を受け継ぐとともに繊細な筆致と大胆な構図の作品を得意としました。画壇と距離を置いたため、殆ど名を知られず、孤高の存在として生涯を終えました。また、夫人の和里子とともに「文中園」(後の京都女子大学)を創設、虎山画・和里子賛の夫婦合作の作品が数多く残されています。
《参考文献》
・『甲斐和里子の生涯』
籠谷眞智子
自照社出版 2002年
・『親鸞に出遇った人びと③』
甲斐和里子・河村とし子
同朋舎出版 1989年
・『新修 草かご』
甲斐和里子
百華苑 1964年
・『落葉かご』
甲斐和里子
百華苑 1949年
・『義山法語』
甲斐和里子 編
百華苑 1955年
・『偲ぶ草』
甲斐和里子
勝願寺
・『静寂の南画家 甲斐虎山』
前崎信也・村田隆志
目の眼 2022年
・『こころの手足』
中村久子
春秋社 1971年
《協力》
・京都女子大学
・勝願寺
[初出/FMふくやま月刊こども新聞2021年4月号]