第15回 鞆ノ平 武右衛門(とものひら たけえもん)[1849-1901]
《異種格闘技戦で勇名を馳せた力士》

第15回は、異種格闘技戦で勇名を馳せた力士 鞆ノ平 武右衛門(とものひら たけえもん) [1849-1901]
を取り上げました。
《身長2mを超えるボクサーを、必殺技「鷹無双」で投げ飛ばす》
ぜひご一読ください。
『異種格闘技戦』といえば、ボクシング世界ヘビー級チャンピオン・モハメド・アリとプロレスラー・アントニオ猪木の「世紀の一戦」が有名ですが、かつて異種格闘技の天覧試合で西洋人ボクサーと死闘を演じたのが、福山出身の力士・鞆ノ平武右衛門です。
武右衛門(本名・村上武右衛門)は、1849(嘉永2)年、備後国沼隈郡平村(現・広島県福山市鞆町平)に生まれました。土地相撲で活躍し、1870(明治3)年、大阪の梅ヶ谷藤太郎(後の大横綱)を頼って入門。その後、梅ヶ谷の上京に伴い、東京相撲に移籍。四股名は出身地に因み「鞆ノ平」とし、1871(明治4)年、初土俵を踏みました。
1879(明治12)年、西洋人ボクサーから、天覧試合の場で相撲チャンピオンに挑戦したいと申し入れがありました。しかし、その試合は力士に不利なパンチ攻撃OKというもので、明治天皇がご覧になっている場で、万が一負ければ日本の恥になると、誰も出場したがりませんでした。師匠・梅ヶ谷の苦悩を察した、西十両4枚目の武右衛門は、「誰も名乗り出ないのであれば、あっしがやりましょう」と申し出ました。政府要人たちから、早く対戦相手を決めろと矢の催促を受けていた梅ヶ谷は、たいへん喜び「よく決心してくれた。もし敗れたら俺が必ず骨を拾ってやる。必殺技を使って戦え!」と、危険な技のため普段は禁止している「鷹無双」の使用を許可しました。
試合当日は、東京両国の会場に数千人もの見物客が詰めかけました。まず、武右衛門(身長1m70cm、体重96kg)の登場に大歓声が上がりました。次に、身長2m12cmもある巨漢の西洋人ボクサーが登場すると、大人と子供のような体格差に観客は唖然、会場は静まり返りました。試合開始。武右衛門は頭から突進するも、いきなりアッパーカットを食らい、回り込まれて強烈なフック、さらに嵐のようなパンチを次々見舞われ、目の周りは黒ずみ、唇は切れて顔じゅう血だらけになりました。どちらかが倒れるまで戦うというルールであったため、試合は壮絶を極めましたが、武右衛門は血みどろになりながらも相手の不意をつき、得意の必殺技「鷹無双」で相手を投げ飛ばし、見事勝利しました。会場は大歓声に包まれ、座布団が舞い、しばらくは観客の興奮が収まりませんでした。
試合後、武右衛門は一躍スターになり、錦絵は飛ぶように売れました。明治天皇は、武右衛門の勝利を大層お喜びになり、侍従に命じて化粧回しを作らせ、お与えになりました。
1882(明治15)年には関脇に昇進。相撲のとり口が上手く、無邪気で愛嬌があったので、多くの人から贔屓にされました。1893(明治26)年、現役を引退、年寄大嶽を襲名しましたが1年あまりで廃業。晩年は郷里の鞆に帰って漁業に従事し、1901(明治34)年、52歳で亡くなりました。異種格闘技戦の歴史にその名を残した武右衛門の墓は、鞆の浦を臨む明圓寺にあります。
写真提供: 福山市鞆の浦歴史民俗資料館
錦絵①
錦絵②
錦絵③
鞆ノ平 武右衛門の墓
※梅ヶ谷藤太郎(うめがたに とうたろう)[1845-1928] 筑前国上座郡(じょうざぐん)志波村(しわむら)梅ヶ谷(現・福岡県朝倉市)出身の大相撲力士。第15代横綱。土俵成績は、歴代横綱の中で最高位の九割五分一厘の勝率を誇り、雷電為右衛門(らいでん ためえもん)に次いで歴代2位。明治時代の「文明開化」の中、相撲は野蛮とみなされ、低迷していた相撲人気を回復させた梅ヶ谷藤太郎は「相撲道中興の祖」といわれました。明治時代前期の角界の第一人者で、「古今十傑」「明治以後の五大力士」等と称される、相撲史上特筆すべき存在です。
※ 鷹無双(高無双) 差している右手を抜き、その手で相手の右腿の外側を払いながら、左手で相手の右差手を抱えて捻り倒す技
※明治天皇から下賜された化粧回し 引退後、従事した福井県敦賀湾での鯛網事業に失敗した武右衛門は、明治天皇のご下賜品である菊のご紋章入りの化粧回し(時価1億円)を、敦賀の質屋に入れて借金の後始末をしました。それを聞きつけた相撲協会が、大慌てで買い戻したという仰天エピソードが伝わっています。
《参考文献》
・『力道山以前の力道山たち』
小島貞二
三一書房 1983年
・『鞆今昔物語』
表 精
(非売品) 1974年
・『沼隈郡誌』
広島県沼隈郡役所 編
名著出版 1972年
・『大相撲人物大事典』
相撲編集部
ベースボール・マガジン社 2001年
・『大相撲史入門』
池田雅雄
KADOKAWA 2020年
・『実録 柔道対拳闘 投げるか、殴るか。』
池本淳一
BABジャパン 2018年
《協力》
・鞆の浦歴史民俗資料館
・壇上浩二氏
・福山市 文化観光振興部 文化振興課
[初出/FMふくやま月刊こども新聞2022年12月号]