歴史から学ぶ「福山」郷土の偉人たち

第32回 行教(ぎょうきょう)[783?-863?:生没年未詳]

《日本三大八幡宮の一つ、石清水八幡宮をつくった高僧》

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第32回は、日本三大八幡宮の一つ、石清水八幡宮をつくった高僧 行教(ぎょうきょう) [783?-863?:生没年未詳]を取り上げました。
厄除け・開運必勝祈願のパワースポットとして有名な石清水八幡宮
ぜひご一読ください。
    
    平安時代初期(9世紀)の大安寺の僧・行教は、父が山城守紀魚弼で、弟が本覚大師益信と分かっているため、益信同様、備後国品治郡宮内(現・福山市新市町宮内)にある備後一宮吉備津神社裏参道辺りの正仁谷で生まれたと思われますが、出家前のことはよく分かっていません。
    行教は奈良の大安寺で、最澄の師・行表の下で仏道修行に励み、中国・唐へ留学。行教が学んだ大安寺は、聖徳太子(厩戸王)が創建した大寺院で、東大寺や興福寺などとともに南都七大寺の一つに数えられ、僧侶の養成と仏教研究の場として、東大寺の大仏開眼をした立役者のインド僧・菩提僊那や真言宗を開いた空海、天台宗を開いた最澄など錚々たる高僧が在籍していました。海外からの渡来僧を含め887人もの学僧が大安寺に居住し勉学修行に励み、さながら国際的な仏教総合大学のようでした。
    858(天安2)年、惟仁親王(のちの清和天皇)の即位を祈祷するため、行教は空海の弟・真雅の推挙により、八幡宮の総本社である宇佐八幡宮(現・宇佐神宮/大分県宇佐市)へ派遣されることになりました。しかし、まもなく親王が8歳で即位したことから、翌859(貞観元)年、改めて清和天皇護持のため、行教は宇佐八幡宮に90日間籠り神仏に祈願しました。このとき「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」とのお告げがあり、翌860(貞観2)年、国家鎮護と平安京の守護神として、宇佐八幡宮から山城国男山(京都府八幡市八幡高坊)に八幡神(八幡大菩薩)を勧請(神仏を分けて移すこと)して石清水八幡宮(旧・男山八幡宮)を創建しました。
    石清水八幡宮は、京都の南西に位置する男山の山上につくられ、その中腹から湧き出る石清水が神社名の由来です。京都の北東側の鬼門を守護する比叡山延暦寺に対し、こちらは南西側の裏鬼門を守護する神社として敬われ、伊勢神宮(三重県伊勢市)に次ぐ重要な神社とされてきました。石清水八幡宮には、日本と皇室の守護神である八幡神が祀られており、源義家が社前で元服して八幡太郎を名乗った頃より、武士の棟梁・清和源氏は八幡神を氏神として信仰、武士たちが各地に八幡神を勧請したため、八幡宮(八幡神社)は全国に広がりました。鎌倉の鶴岡八幡宮は石清水八幡宮から勧請されました。また、石清水八幡宮は、宇佐神宮・筥崎宮(福岡市東区)または鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)とともに日本三大八幡宮の一つで、境内は国の史跡に、本殿を含む建造物10棟は国宝に指定されています。
    なお、行教は宇佐から男山へ八幡神を勧請する途中、山口と岡山に立ち寄り八幡神を勧請。それら琴崎八幡宮(山口県宇部市)、窪八幡宮(岡山県岡山市東区)と石清水八幡宮を「行教三八幡宮」と言います。863(貞観5)年、行教は僧に与えられる最高位の伝燈大法師位を授けられました。
    行教のつくった石清水八幡宮は、約1,200年の時を経た今も「やわたのはちまんさん」と篤く信仰され、全国屈指の厄除け祈願や開運必勝祈願のパワースポットとして、多くの参拝者で賑わっています。
    

行教律師坐像[神應寺](重要文化財)
写真提供 : 奈良国立博物館
    

石清水八幡宮
(写真提供:石清水八幡宮)
    

絹本著色 行教和尚像[善法律寺]
(写真提供 : 奈良国立博物館)
    
※ 『行教律師坐像』
国指定重要文化財で、平安時代初期の作品。
神應寺(じんのうじ/京都府八幡市八幡西高坊)所蔵。
行教没後まもなく作られ、行教の人柄をよく表しているといわれる、一木造(いちぼくづくり)の彫像。
    
※『絹本著色 行教和尚像』
八幡市指定文化財で、室町時代後期の作品。
善法律寺(ぜんぽうりつじ/京都府八幡市八幡馬場)所蔵。
善法律寺には、かつて行教の弟・益信の肖像画も所蔵されていたが、現在は不明。
    
※南都七大寺 奈良時代末までにできた南都六宗の中心となる七寺。平城京及びその付近の大安寺、薬師寺、元興寺(がんごうじ)、法隆寺、東大寺、興福寺、西大寺の七寺をいい、大安寺が筆頭寺院。
    
※ 国家第二の宗廟 皇室の祖先をまつる場所を「宗廟(そうびょう)」といい、1,200年近い歴史を持つ石清水八幡宮は、国家第二の宗廟として伊勢神宮(三重県伊勢市)に次ぐ神社で、伊勢神宮とともに二所宗廟(皇室が先祖に対して祭祀を行う二つの廟)の一つ。
    
※ 男山の真竹 アメリカの発明家、トーマス・エジソン(1847~1931)は、発明した白熱電球を製品化するに当たり、石清水八幡宮のある男山の真竹(まだけ)をフィラメントとして使用しました。男山の真竹を使用した白熱電球は、1,200時間以上も点灯し製品化に成功。それ故にエジソンゆかりの地として、石清水八幡宮の境内にエジソン記念碑があります。
    
    
《参考文献》
・『新市町史 通史編』
  新市町史編纂委員会 
  広島県芦品郡新市町 2002年
    
・『謎多き神 八幡様のすべて』
  田中恆清
  新人物往来社 2010年
    
・『神仏習合の聖地』
  村上修一
  法藏館 2006年
    
・『よもやま歴史風土記』
  本郷真紹
  法藏館 2024年
    
・『京都の最強神社 12社の謎を読み解く』
  島田裕巳
  祥伝社 2024年
    
・『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』
  島田裕巳
  幻冬舎 2013年
    
・『週刊 日本の神社 第19号 石清水八幡宮』
  デアゴスティーニ・ジャパン 2014年
    
・『週刊 神社紀行 第30号 石清水八幡宮』
  杉田博明
  学習研究社 2003年
    
・『大安寺と八幡神社』
  大安寺・生井真理子・森隆男
  なら文化交流機構 2023年
    
・『知らなかった!もっと知りたい、大安寺』
  南都 大安寺 2011年
    
    
《協力》
・石清水八幡宮
    
・神應寺
    
・善法律寺
    
・奈良国立博物館
    
・八幡市教育委員会 こども未来部 文化財課
    
    
[初出/FMふくやま月刊こども新聞2024年9月号]