第19回 小林 正次(こばやし まさつぐ)[1902-1975]
《国産初のファクシミリ(FAX)の共同開発者》

第19回は、国産初のファクシミリ(FAX)の共同開発者 小林 正次(こばやし まさつぐ) [1902-1975]を取り上げました。
《昭和天皇即位の御大典の模様を東京-大阪間で写真電送》
ぜひご一読ください。
1980~90年代は、ファクシミリ(FAX)の全盛期で、世界中のほとんどのファクシミリを日本が生産、世界市場を席巻しました。その起点ともいえる国産ファクシミリ(写真電送装置)第1号機を開発したのが、日本電気株式会社(NEC)の丹羽保次郎と小林正次です。
1902(明治35)年、正次は岡山県久米郡加美村字亀甲(現·久米郡美咲町)に生まれ、父の転勤で広島県の庄原小学校、府中の国府小学校、そして松永小学校に転校。同校卒業後は、松永高等小学校から1916(大正5)年、福山中学校(現·福山誠之館高校)に進学し、翌年、広島高等師範学校附属中学校(現·広島大学附属高校)に転入。第八高等学校(現·名古屋大学情報学部)を経て、1926(大正15)年、東京帝国大学(現·東京大学)工学部電気工学科を卒業。同年、日本電気に入社しました。
1928(昭和3)年5月、正次はどこの研究室にもある道具を使って、電流の強さを光の明るさに変換する方法を思いつきました。この着想が大きな足がかりとなり、正次は日本のファクシミリ第1号機となるNE(日本電気)式写真電送装置を、上司の丹羽保次郎と共同で開発しました。
同年11月に昭和天皇即位の礼を京都で行う御大典が発表されると、新聞各社にはその模様を速やかに報道することが求められました。しかし、当時は東京-大阪間で汽車や自動車等で写真を送ったのでは当日に号外を出すことは不可能でした。そこで注目されたのが、写真電送装置です。朝日新聞社と日本電報通信社(現·電通)はドイツのシーメンス式写真電送装置を、大阪毎日新聞社と東京日日新聞社(いずれも現·毎日新聞社)はフランスのベラン式写真電送装置を使って、即日報道に備えることにしました。ところが、ベラン式は性能が悪く、危機感を覚えた新聞社は急遽NE式写真電送装置を併用することにしました。そうして迎えた御大典当日、NE式は画像の鮮明さとスピードで、シーメンス式を圧倒、ベラン式はほとんど使い物になりませんでした。1ヵ月にも及ぶ御大典の報道でNE式は一度も故障せず300枚もの写真を送受信し、うち120枚の写真が新聞に掲載されました。その結果、NE式の性能が高く評価され、新聞各社や逓信省(現·総務省等)も次々に採用していきました。
正次は、その後も写真電送と真空管開発を主に手掛け、わが国の放送·通信事業の発展に寄与しました。
また、1939(昭和14)年には、テレビを見ている時に飛行機の飛来によりテレビ画像が乱れたことからヒントを得て、電波探知機(レーダー)の開発にも取り組みました。戦後は丹羽保次郎の後継者として中央研究所所長に就任。1959(昭和34)年には半導体事業を立ち上げるなど、日本電気の事業拡大に尽力、専務取締役等を歴任しました。
退任後は、慶應義塾大学工学部教授、科学技術庁(現·文部科学省等)電子技術審議会会長、画像電子学会初代会長等に就任。正次は、会社や大学、学会等を通して数多くの技術者や後進を育て、わが国の電子工業の発展に多大な貢献をしました。
出典:
『未完の完成 小林正次 自伝と論文』
「未完の完成」出版委員会(1977年)
NE式写真電送装置
(写真提供:日本電気)
丹羽保次郎(左)と小林正次(右)
手前は初期の写真伝送装置
出典:『丹羽保次郎 人と業績』
丹羽記念会(1978年)
※ファクシミリ(写真電送装置)の原理 電話の発明より33年も早い1843(天保14)年、イギリス・エジンバラの時計技師アレクサンダー・ベインによって写真電送装置の原理が考案されていましたが、当時の技術では実用化できず、80年余り後の1920年代に入り、ドイツのシーメンスとフランスのベランを中心に、ようやく本格的な開発競争が始まりました。
※ ファクシミリ(写真電送装置)実用化に立ち塞がる問題
①送信されてきた電気を正確に光に変換する方法
②送信機と受信機の円筒状のドラムを全く同じ速度で回転させる方法
この2つの方法が見つからず、実用化が困難となっていました。
①の問題について、小林正次は、実験室に手近にある電磁オシログラフの振動子を使い、衝立てで光を遮り、電流の強さを光の明るさに変換するという画期的な方法で解決。
②については、丹羽保次郎が、同じ電気信号を使って送信機と受信機の円筒状のドラムを同じ速度で回転させる「同期モーター」という着想で解決。
2人の共同開発により写真電送装置を実用化させました。
《参考文献》
・『未完の完成 小林正次 自伝と論文』
「未完の完成」出版委員会
文化総合出版 1977年
・『発明立国ニッポンの肖像』
上山明博
文藝春秋 2004年
・『技術は人なり。丹羽保次郎の技術論』
東京電機大学編
東京電機大学出版局 2007年
・『丹羽保次郎 人と業績』
丹羽記念会
東京電機大学出版局 1978年
・『日本電気株式会社百年史』
日本電気社史編纂室
日本電気株式会社 2001年
《協力》
・日本電気株式会社
コーポレートコミュニケーション部
[初出/FMふくやま月刊こども新聞2023年5月号]