第25回 武田 五一(たけだ ごいち)[1872-1938]
《「関西建築界の父」京都大学工学部建築学科の創立者》

第25回は、「関西建築界の父」京都大学工学部建築学科の創立者 武田 五一(たけだ ごいち) [1872-1938]を取り上げました。
《アール・ヌーヴォー等の新様式を日本に紹介/福山市章の選定者》
ぜひご一読ください。
「関西建築界の父」といわれ、近代日本を代表する建築家の武田五一は、アール・ヌーヴォー、セセッションなど、西欧の新しい芸術様式をわが国に紹介したことでも広く知られています。NHK朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」[2013年放送]で、五一がモデルの京都帝大教授・竹元勇三が大阪市の都市計画事業の監修役で登場、五一は大阪の街づくりにも大きく関わった建築家でした。
五一は、1872 (明治5)年、現在の広島県福山市西町で生まれ、父の転勤等により、神戸、姫路、岐阜、高知、京都など各地を転々としました。1894(明治27)年、帝国大学工科大学造家学科(現・東京大学工学部建築学科)に入学。当時の造家学科には、「日本近代建築の父」辰野金吾を中心に名だたる教授陣がいました。五一は、旧福山藩出身者の学生寮・誠之舎に入り、学生生活を始めました。
1897(明治30)年、大学を首席で卒業後、同大大学院に進学。そして、大学卒業後わずか2年で東京帝国大学工科大学助教授に就任しました。1901(明治34)年、文部省(現・文部科学省)より図案(デザイン)学研究のため欧州留学を命ぜられ、留学先でアール・ヌーヴォーやセセッションといった西欧最新の様式に直接触れました。
帰国後は、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科教授に就任し京都の伝統工芸の近代化に貢献した後、名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)校長に転任。さらに 1920(大正9)年、京都帝国大学(現・京都大学)工学部建築学科の創設に尽力、創立とともに教授となり多くの後進を育てました。また、福山出身の廣田精一らと神戸高等工業学校(現・神戸大学工学部)の設立に携わりました。五一は、生涯の大半を教職に捧げながらも関西一帯で仕事を続け、非常に多くの建築物を手がけました。
五一と福山の関わりとして「福山市章の選定」と「福山市公会堂の設計」が挙げられます。福山市は市制施行に当たり、福山市章の一般懸賞募集をしましたが優秀作が集まらず、1916(大正5) 年、京都高等工芸学校教授の五一に福山市章の選定を依頼。五一が募集を呼びかけ、323点もの作品が集まりました。五一はこの中から、同校助教授・間部時雄が考案した蝙蝠を山の形にしたデザインを福山市章に選びました。また、福山市は市制施行10周年に向け福山市公会堂等の建設を計画。しかし資金が集まらず困っていたところ、1926 (大正15)年、旧福山藩主阿部家が福山市公会堂の建設資金4万円を寄付。阿部家の推薦により、五一が福山市公会堂の設計をしました。
また、五一は「近代建築の三大巨匠」の一人で帝国ホテルの設計で知られる建築家・フランク・ロイド・ライトとも親交があり、帝国議会議事堂(現・国会議事堂)の設計をはじめ多くのプロジェクトに関わりました。さらに法隆寺や平等院など古社寺の修理保存にも携わるなど、広範囲にわたる仕事を手がけた五一は、わが国の近代建築史に大きな足跡を残しました。
写真提供:ふくやま美術館
武田五一設計の福山市公会堂
(写真提供:ふくやま美術館)
福山市章
※ アール・ヌーヴォー 19世紀末から20世紀初頭、欧州を中心に流行した芸術様式で、花やツタなど植物を模したものや曲線的な装飾が特徴。
※ セセッション 19世紀末、ドイツ語圏に興った絵画・建築・工芸の革新運動で、「分離派」と訳されます。過去の芸術様式から「分離」して、生活や機能と結びついた新しい造形芸術の創造を目指しました。
※誠之舎 1890(明治23)年に、旧福山藩主阿部家が育英事業の一環として、旧福山藩内から上京して勉強する学生のために創設した学生寮で、東京・西片町(現・東京都文京区西片)の養蚕小屋を増改築した建物からスタートしました。
※ 五一の名が最初に世に知られた出来事 1897(明治30)年、帝国大学工科大学大学院に進学後、妻木頼黄(つまき よりなか)や伊東忠太(いとう ちゅうた)といった建築界の大家を補助しました。特に、「明治建築界の三大巨匠」の一人・妻木頼黄から設計の補助を依頼された「日本勧業銀行」は、和洋折索の意欲作として五一の名を世に知らしめることとなりました。
※福山市公会堂 鉄筋コンクリート造りで、左右に赤い丸屋根の塔屋を擁する特徴的なもので、パラペット〔屋上のへり〕頂部には赤いスパニッシュ瓦が用いられ、「スパニッシュ様式」の建築物として市民に親しまれました。文化の殿堂として戦禍をくぐり抜けた福山市公会堂は、残念なことに1962(昭和37)年に取り壊され、重要な文化遺産が失われました。
《参考文献》
・『研究図録 評伝 武田五一』
谷藤史彦
ふくやま美術館 2016年
・『武田五一的な装飾の極意』
谷藤史彦
水声社 2017年
・『近代建築の好奇心 武田五一の軌跡』
文京ふるさと歴史館 編
文京区教育委員会 2005年
・『武田五一・人と作品』
博物館 明治村 編
名古屋鉄道 1987年
・『武田五一の建築標本』
酒井一光 石田潤一郎
LIXIL出版 2017年
・『今よみがえる郷土の偉人たち』
子どもが科学に親しむ場を創る会(出版部会) 2022年
《協力》
・ふくやま美術館
・小畑和正氏
[初出/FMふくやま月刊こども新聞2023年12月号]