歴史から学ぶ「福山」郷土の偉人たち

第29回 坂本 万七(さかもと まんしち)[1900-1974]

《「美術写真の第一人者」と称賛された写真家》

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第29回は、「美術写真の第一人者」と称賛された写真家 坂本 万七(さかもと まんしち) [1900-1974]を取り上げました。
「動」の写真家・土門拳、「静」の写真家・坂本 万七
ぜひご一読ください。
    
    「万ちゃん」の愛称で親しまれた写真家の坂本万七は、1900(明治33)年、広島県深安郡福山町(現・福山市笠岡町)に、織物の卸問屋を営む父庄平、母ウタの三男として生まれました。生来口数の少なかった万七は、福山尋常小学校(現・福山市立東小学校)、福山尋常高等小学校(現・福山市立西小学校)を経て、1915(大正4)年、盈進商業実務学校(現・盈進中学高等学校)に入学。その後、作家・武者小路実篤らの唱えた白樺派の人道主義に共感し、1919(大正8)年、盈進商業を中退。武者小路が理想郷を目指して宮崎県児湯郡木城村(現・木城町)に建設した村落共同体「新しき村」に入村しました。しかし、農作業は性に合わず、暇になると油絵を描いていましたが、油絵ではとても生活ができないと考え、絵に最も近い「写真」をやってみようと思い立ちました。
    万七は1921(大正10)年に上京し、品川写真研究所で写真技術を学び、翌年からは三笠写真館で技師として修行を積み写真術を習得しました。そして、1924(大正13)年に幕を開けた「新劇のメッカ」築地小劇場の演劇に魅了され、舞台写真を撮り始めました。万七の舞台写真は、写真家の主観的な解釈によるものではなく、重要な演技者が写った場面写真に舞台装置が克明に記録された、言わば舞台の細部を後世に残すためのものでした。
    1933(昭和8)年から1940(昭和15)年にかけて、中国東北地方やモンゴルなどの遺跡を撮影、その間、美術評論家・柳宗悦の民芸運動に共鳴し、「美」に開眼。1939(昭和14)年末から柳宗悦、陶芸家の濱田庄司や富本憲吉、版画家の棟方志功、写真家の土門拳らと沖縄の各地を訪問、沖縄の暮らしや風俗、工芸などを撮影しました。この時の写真は、後に『沖縄・昭和10年代』として刊行されました。
    戦後の万七は舞台写真から遠ざかり、美術写真に専念、特に民芸や仏像の撮影に才能を発揮しました。1946(昭和21)年、美術研究所(現・東京文化財研究所)嘱託となり、法隆寺宝物台帳作成のための写真撮影を8年にわたって行うとともに、美術品のカラースライド制作にも取り組みました。また、美術出版物の写真担当として幅広く活躍、代表作に『奈良六大寺大観』や『世界陶磁全集』などがあります。
    「被写体をして語らしめよ」が万七の持論で、万七の写真は、自分の主観を表に出すのではなく、被写体そのものに語らせるという形をとっています。撮影者の主張をできるだけ抑えた作風で、万七の美術写真は、学者たちから学術的資料として高い評価を得ました。しかし、それだけに活動は地味で目立たず、同時代に活躍した 「動」の写真家・土門拳とは対照的に、万七は「静」の写真家と言われました。万七の写真は印刷されて美術出版物などの図版となり、その美術品と解説者の名のみが表に出るため、一般に万七の名は知られていませんが、「美術写真の第一人者」として数多くの優れた作品を残しました。
    

写真提供 : ふくやま美術館
    

埴輪 踊る人
写真提供 : ニコンイメージングジャパン
[出典 : 『坂本万七 遺篇』ニッコールクラブ]
    

写真提供 : ニコンイメージングジャパン
[出典 : 『坂本万七 遺篇』ニッコールクラブ]
    

沖縄 魚売り
(写真提供 : ふくやま美術館)
    
    
※会社名の推移
桃源社坂本写真場[1926(昭和元)年、東京都豊島区目白町]▶︎サカモト・フォト・リサーチ・ラボ(坂本寫眞研究所)[1959(昭和34)年、東京都港区麻布材木町]▶︎坂本寫眞研究所[1964(昭和39)年、東京都世田谷区松原]▶︎坂本万七寫眞研究所[1974(昭和49)年]▶︎閉所[2005(平成17)年]
    
※万七の遺作『沖縄・昭和10年代』(新星図書出版・1982年刊) 昭和10年代の沖縄の風景、庶民の暮らし、市場の様子などを収めた、歴史的資料として非常に価値のある写真集。
    
※郷里福山関連
・1968(昭和43)年、福山の幻の焼物「姫谷焼(ひめたにやき)」を撮影。
・没後の1997(平成9)年、写真展「坂本万七写真展―築地小劇場から古都の仏たちまで」を天満屋福山店で開催。
    
    
《参考文献》
・『写真集「坂本万七 遺篇」』
  三木淳 監修
  ニッコールクラブ 1985年
    
・『坂本万七遺作集 美しき佛たち』
  坂本万七
  日本経済新聞社 1975年
    
・『備後春秋 第34号』
  垣原伸夫
  備後春秋編集部 1985年
    
    
《協力》
・ふくやま美術館
    
・ニコンイメージングジャパン
    
・福山市教育委員会
    
・宮川浩一氏
    
・坂本淳氏・由加子氏
    
・小畑和正氏
    
    
[初出/FMふくやま月刊こども新聞2024年5月号]